国際金融安定性報告書
国際金融安定報告書: 要旨
2017年10月
概要
当面のリスクは低下
異例の政策対応による下支えと金融規制の強化、並びに景気循環の好転に伴う成長率回復を受けて国際金融システムは強靱さを増してきた。多くの先進国では銀行部門の健全性は高まっており、この背景には一部の不健全行の整理が進むとともに、システミックに重要な金融機関の大半がビジネスモデルの変革に取り組み、収益力も回復していることがあげられる。2017年10月公表の世界経済見通しで説明されているように、世界的に経済活動は上向いており、これが市場センチメントの向上に繋がるとともに金融不安定化のリスクは当面低下している。
こうした改善と同時に、経済活動の下支えと物価上昇の実現のため必要なこととはいえ、緩和的な金融環境が継続しているため資産価格の上昇とレバレッジの拡大が生じている。また、金融安定性にかかるリスクは銀行部門からノンバンクへと移っている。このような状況とリスクの所在に鑑みれば、きたるべき金融政策の正常化は注意深く進める必要がある。同時に、銀行システム外のリスクの蓄積を抑制するとともに残存する負の遺産の解消に取り組んでいく必要がある。
金融政策正常化を巡る二側面
中央銀行や金融市場が想定している世界経済の基本的なシナリオでは、インフレ率は徐々にしか上昇しないと予想されており、緩和的な金融政策スタンスの継続が前提となっている。金融政策の正常化は緩やかに進展し、完了には数年を要すると見込まれている。主要国の経済回復を持続させ、目標とするコアインフレ率の上昇を実現するには金融政策面からの支援が必要であり、性急な正常化は望ましくない。また、非伝統的な金融政策と量的緩和に対応して民間部門のポートフォリオでは国際的な資産配分の変化がみられており、金融市場の調整がどのような形で進むかは過去と比べ予測し難くなっている。
このため金融政策の正常化に伴う調整過程では、急激な、あるいはタイミングの悪い資金移動が生じ金融市場が不必要に動揺し、市場と国境を越えて混乱が伝搬するリスクがある。とはいえ、主要国が想定通り緩和を継続すれば、金融部門における行き過ぎたリスクの蓄積が助長される恐れもある。 利回り指向が高まる中、ノンバンク部門に脆弱性はシフトしており、市場リスクも高まっている。利回り資産への投資を求める多額の資金があふれている一方で、世界全体の投資適格債券のうち、4%以上の利回が確保できるものはわずか5%(1.8兆ドル)にすぎず、これは危機前の80%(15.8兆ドル)から大幅に減少している。投資家もリターンを向上させるために高い信用、流動性リスクを許容し、伝統的な投資対象以外も物色せざるを得なくなっており、このため行きすぎた資産価格の上昇も一部の市場でみられる。
主要国での債務残高は上昇を続けており、G20諸国全体で見ると非金融部門のレバレッジは金融危機以前に比べても高水準にある。レバレッジの拡大は経済回復に寄与したが、その結果、非金融部門は金利変動に対してより脆弱になっている。金利水準自体は低下しているにもかかわらず、いくつかの主要国では民間部門の債務返済比率は上昇している。これにより、一部の国と産業では業績不振企業の債務返済能力が限界に近づいている。債務返済負担と債務水準はいくつかの主要国(オーストラリア、カナダ、中国、韓国)で既に高水準にあり、金融環境のタイト化や景気の鈍化に対する抵抗力が下がっている。
最大の課題は、世界的な経済回復を金融政策が支え続ける中でも、金融面での脆弱性の高まりを回避することである。これが実現できなければ、過剰債務と資産価格の行き過ぎから市場センチメントが将来的に悪化し、世界経済の失速につながるリスクがある。本報告書ではリスクプレミアムが上昇する結果、信用コストが高騰し、資産価格も下落し、新興国から資金が流出する悲観的なシナリオを分析している。このような国際的な金融環境のタイト化が実体経済に与える影響は大きく、経済の下落は世界金融危機時の際の約1/3の規模に達し影響も広範に及ぶと予想される。その結果、国による差はあるものの、WEOの基本シナリオに対して世界GDPは1.7%低下すると見込まれる。その場合、米国の金融政策正常化プロセスは中断され従前の緩和策が復活し、他の国でも金融政策の正常化は遠のくこととなろう。特に甚大な影響を被るのが新興市場国で、4四半期累計でポートフォリオ投資が約1,000億ドル減少すると予想される。銀行資本の毀損もレバレッジが高い国や住宅及び企業部門へ信用供与が多い国で多額に上ることとなろう。
中国のレバレッジ解消を巡る課題
中国ではここ数四半期、経済が着実に成長し金融面での引締め策もとられ、その結果、中国経済が急減速して世界経済にも悪影響が及ぶ、というリスクは当面遠のいている。しかしながら、中国の金融システムは巨大かつ複雑でしかも急速に拡大しているため、高い金融不安定化リスクを内包している。銀行部門の資産は2012年末にGDPの240%であったが、今や310%にまで増加している。加えて、短期の市場性資金への依存の高まりと企業への「シャドー・バンキング」の拡張の結果、銀行部門の脆弱性も高まっている。当局としては、金融面でのタイト化と成長率の低下との間で微妙なバランスをとることが求められている。シャドー・バンキングの拡大を多少抑えるだけでも中小の銀行の収益や信用供与能力は影響を受けるであろう。
国際的な銀行の健全性は改善している
グローバルなシステム上重要な銀行(global systemically important banks = GSIB)の健全性は引き続き改善傾向にある。より厳しい監督規制や市場の批判的な目にさらされる中、これらの銀行では自己資本と流動性バッファの向上が見られ、バランスシートは改善している。負の遺産の清算とリストラに向け、相当な進展も見られる。しかしながら、多くの銀行がビジネスモデルを改革することで収益力を回復させている一方で、未だ負の遺産を抱え、ビジネスモデルの転換に苦慮している銀行も存在する。、GSIBの約1/3はこのような困難を抱えており、その資産総額も17兆ドルに達するが、そうした銀行では2019年に至っても未だ持続可能とされる利益水準が確保できない状況が続くと見込まれる。GSIBに関しては一行に問題が生じただけでもシステム全体に悪影響が及びかねないだけに、銀行監督当局はビジネスモデルが転換できないリスクを注視し、持続可能な収益の確保を求めるべきである。生命保険会社も業務戦略面で国際金融危機後の低金利経済への対応を進めており、なかでも伝統的なリスクテイクの削減、高水準の保証利回りを伴う商品の販売削減、及び投資有価証券の利回り向上を目指している。このような状況下では、監督当局は生命保険会社の市場及び信用リスクへのエクスポ−ジャーに注意すべきである。
政策当局は予防的措置に注力すべき
世界的な景気回復が進展しているこの機会を捉え、当局としては現状に安住することなく、中期的な脆弱性の高まりに対応すべきである
家計債務と経済成長
第二章では、過去十年間におきた家計部門債務の増加が経済成長と金融安定性に及ぼす短期・中期の影響を分析している。家計部門債務の対GDP比の国による違いは大きいが、共通して増加傾向がみられ、世界金融危機後も減速はしたものの増加トレンドが続いている。先進国では、一部に例外はあるものの、1980年には35%だったものが2016年には65%にまで増加しており、金融危機後もより緩やかながら増加を続けている。新興市場国ではこの比率は先進国に比べかなり低いものの、より短い期間でより急速な伸びを見せており、1995年に5%であったものが2016年には20%に達している。加えて、近年でも減速の兆候は見られない。家計債務の上昇は短期的には経済成長を加速させるものの、中期的にはマクロ経済及び金融の不安定化のリスクを高め、これが経済成長、消費、および雇用の低下と銀行危機の可能性の高まりにつながる可能性がある。本章の分析で見いだされたこのトレードオフの関係は家計債務の水準自体が高いほど強く表れるが、適切な政策、制度及び規制を採用することで、トレードオフ関係を改善することができる。具体的には、マクロプルーデンス政策及び金融部門にかかる施策の改善、金融監督の強化、対外借入れ依存度の引下げ、弾力的な為替相場制度の採用、および所得格差の縮小などがトレードオフ関係の改善に寄与する。
金融市場の状況から将来の成長率を予測する
金融市場の状況から将来の経済成長にかかるリスクを評価する上で有益な情報が得られことが世界金融危機の経験からわかったが、こうした情報を活用すれば的確な事前対応も可能となる。第三章では、金融市場の状況を将来のGDP成長率の確率分布に関連づけることで、金融安定性に関する新たなマクロ指標を開発し、21の主要な先進国と新興市場国についてこの分析を適用した結果を示している。本章で示すように、金融状況の変化により将来のGDP成長率の確率分布は全体としてシフトする。リスクプレミアムの拡大、資産価格ボラティリティの上昇、グローバルなリスクアペタイトの減少に伴い、近い将来の成長低下リスクは高まる。また同様に、レバレッジの拡大や与信の伸び率の増加は中期的な成長低下リスクの高まりを示している。現状、資金調達コストも金融市場のボラティリティも低く、世界経済の成長失速リスクを当面気にする必要はないと見られる。しかしながら、レバレッジの拡大は将来的なリスクを暗示しており、スプレッドの急拡大とボラティリティの急上昇が起きるようなことがあれば、世界経済失速のリスクが高まりる。世界金融危機前後のリアルタイムのデータを用いた検証を行ったところ、経済成長関連データのみを用いた予測に比べ、金融の状況を考慮した予測モデルの方が経済の縮小の可能性をより的確に予測できた。この実績からも、本章で示した分析手法は政策当局のマクロ・金融サーベイランスを充実させる上で極めて有用な手法を提供していると言える。
第2章:家計部門の債務と金融安定性
金融が長期的な経済成長に寄与することは広く認識されているが、近年の研究によれば経済全体のレバレッジが一定以上高まると成長への貢献が低下し始めることが知られている。また、新たな実証研究や国際金融危機の経験に照らすと、景気循環のサイクルにおいても、家計債務を含む対民間与信の拡大が金融危機の可能性を高め経済成長の低下につながりうることが明らかになってきている。
この10年間で家計部門の債務は世界的に拡大を続けている。本章では家計債務と経済成長及び金融安定性の関係を、先進国及び新興市場国80カ国のデータを用い総合的に分析している。マクロレベルの集計データのみならず個々の家計による借入れのミクロデータを用い、家計の債務が経済全体の成長と安定にどう影響するかを分析している。
本章の分析を通じ、家計債務の拡大には、短期的には成長を促す反面中期的にはマクロ経済と金融の安定を損ないうるという、トレードオフの関係が存在することが示された。短期でみれば家計部門債務の対GDP比率の上昇は典型的には経済成長の増大と失業率の低下と並行して観察されるが、この関係は3から5年後には逆転する。しかも、家計債務の拡大が速いと銀行危機が生じる可能性も大きくなる。このようなマイナスの効果は家計部門の債務の水準が高いほど大きく、そのため、家計の債務残高が低く家計の信用市場への参加が限られている新興国に比べ、先進国でより強い悪影響が見られる。
しかしながら、個々の国の特徴や制度により、家計部門の債務拡大に伴う悪影響は緩和されうる。家計部門の債務水準が高い国でも適切な制度、規制及び政策を通じ、成長と安定の間のトレードオフ関係を相当程度改善することが可能である。具体的には、良質な金融監督規制、対外借入依存度の減少、弾力的な為替相場、並びに所得格差の是正により家計債務拡大のリスクを減少させることが出来る。
政策当局にあっては、国民の金融アクセスの拡大と金融の発展の恩恵の確保に留意しつつ、短期、中期、長期における家計部門債務の拡大のメリットとリスクを慎重にバランスさせていくことが望まれる。
第3章:金融システムの状態とグロース・アット・リスク
金融システムの状態の変化は経済活動にかかわる将来的なリスクを判断する上での重要なシグナルとなりうる。国際金融危機にいたる過程で見られたように、資金供給が潤沢でリスクが一見低いと見なされる時期にしばしば金融脆弱性の蓄積が見られる。ここで金融脆弱性というのは経済活動へのショックが金融機能の低下により増幅されうる状態として定義される。脆弱性がある程度以上高まると、経済にとっても下方リスクとなる。従って、金融システムの状況の変化をモニターすることを通じ、当局は経済成長への将来的なリスクを判断する上での重要な情報を得ることができ、また、これによりリスクに対応した予防的措置を講ずることも可能となる。本章では金融システムの状態と将来GDP成長率の確率分布を関連付けることで、金融安定性を判断するための新たなマクロ指標を考案し、主要な先進国と新興市場国について、この指標を適用した。
本章で開発された分析手法は、マクロ金融サーベイランスを遂行する上で効果的な新たな手法となり得ると考える。本章で示すように、金融状態の変化は将来GDP成長率の確率分布に影響を与える。リスク・スプレッドの拡大や資産価格変動の拡大、並びにグローバルなリスク・アペタイトの減少が近い将来においてマクロ経済が急落する可能性を示す一方、高いレバレッジと信用の急速な拡大は中期的な成長率低下のリスクを示すシグナルとして有用である。
現時点では、資金調達コストと金融市場のボラティリティはともに低水準で、短期的には世界経済のリスクは低いとの見方につながっている。しかし、レバレッジの上昇は今後リスクが増大する可能性を示している。各種スプレッドの急拡大と金融市場のボラティリティ急騰というシナリオが実現すれば、世界経済の成長見通しに関する下方リスクは大幅に高まる。こうした結果は、金融環境が一見安定している時期に金融脆弱性の蓄積が助長されやすいため、こうした時期こそ成長へのリスクに警戒の目を向けなければならないことを示している。
国際金融危機に関してリアルタイムのデータを用いた検証を行ったところ、経済成長のデータのみを用いた予測に比べ、金融の状況を付加した予測モデルの方が経済の縮小の可能性をより的確に予測できた。
大幅な経済後退に関する予測精度の向上は、それがたとえごく近い将来に関する予測であっても、金融政策と危機対応策を適時に発動する上で重要である。また、資産価格や与信からより長期的なリスクに関する情報を抽出することは、金融の脆弱性が蓄積する過程で、それらに対応する政策を設計する上で有用となり得る。各国間で多様な結果が得られたことは、政策担当者にとって、本章の分析手法に金融市場や実物経済の構造的な変化など、各国固有の特質を反映させる余地が存在することを示している。