今回の保健危機は、過去の危機とは異なる需給ショックを反映して、経済に大きな影響を及ぼすことになる。感染症流行中に経済を支えるべく、的を絞った相当規模の政策が必要である。経済・金融において労働者と企業、貸し手と借り手、供給者とエンドユーザーの間を結ぶ網状の関係を保全し、感染が収束した暁には経済活動が回復できるようにしておかなければならない。目標は、一時的な危機が失業や倒産という形で人々や企業に永続的な被害をもたらさないようにすることだ。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行による人的損失が憂慮すべき速さで増加しており、さらに多くの国で感染が拡大している。
最優先にすべきは、当然、人々の健康と安全をできる限り確保することだ。各国においては、医療体制強化のための支出を増やすことが有用である。例えば、個人防護具やスクリーニング、診断検査、病床増床のために支出を強化できる。
ウイルスを阻止するワクチンがない中、各国は渡航制限や臨時休校、検疫等の措置をとり、感染拡大を抑えようとしている。こうした措置によって、医療体制の崩壊を避けるための貴重な時間を稼ぐこともできる。
経済への影響
経済的影響は、感染被害が最も深刻な国々ですでに現れている。例えば中国では、2月に製造業とサービス業の活動が大幅に落ち込んだ。製造業の後退は世界金融危機発生当初と同等である一方、サービス部門の落ち込みは今回の方が大きいように見える。これは、社会距離戦略(自主的な隔離)の影響が大きいことを反映している。
建築資材や一次産品といったドライバルク貨物の世界的な需要と供給も、空前の感染封じ込め努力に伴う経済活動縮小を受けて、世界金融危機が最も深刻であった時期と同水準にまで低下している。これほどの低下は、最近の感染症流行や9・11米国同時多発テロの時にも見られなかった。
需給ショック
新型コロナウイルスの流行は、供給と需要のショックを伴っている。操業停止によって生産が減少し、供給ショックを引き起こしている。そして、消費者と企業が支出を控えており、需要が低下している。
供給側では、労働供給の直接的な減少が見られる。これは、体調不良の労働者や、休校のために子どもの面倒を見なければならなくなった保護者、そして残念ながら死亡率の上昇に起因している。しかし、封鎖や隔離を伴う感染拡大封じ込めの取り組みが設備稼働率低下を招いていて、経済活動に一層大きな影響を及ぼしている。さらに、サプライチェーンに依存する企業は、国内外からを問わず必要な部品を調達できなくなっている可能性がある。例えば中国は、電子機器や自動車、機械・設備を中心に、世界にとって重要な中間財供給国となっている。サプライチェーンは中国での寸断が理由で、その下流に位置する企業で連鎖反応がすでに起こっている。全体として、こうした寸断により事業コストが高まり、負の生産性ショックが発生し、経済活動が低下することになる。
需要側では、所得の喪失や感染の恐怖、不確実性の高まりによって、人々は支出を減らすことになる。企業が賃金を支払えなくなれば、労働者は解雇されるかもしれない。こうした影響は、例えばイタリアで見られるように、観光業など一部業界で特に深刻になりうる。本年2月20日に米国株式市場の下落が始まって以降、航空会社の株価がとりわけ大きな打撃を受けており、その程度は9・11テロ攻撃後に匹敵している。ただし、世界金融危機後よりは小さいものとなっている。こうした業界別の影響に加えて、消費者と企業の景況感が悪化することにより、企業が需要低下を予測し、支出と投資を減らす可能性がある。このことは、廃業や雇用喪失に拍車をかけることになるだろう。
金融への影響と波及効果
ここ最近見られたように、消費者と企業の融資返済が滞るかもしれないと銀行が疑うようになると、借入コストが上昇し、金融環境がタイト化する可能性がある。借入コスト上昇によって、低金利時代に蓄積された金融の脆弱性が露呈し、債務の借り換えができなくなるリスクが高まることになる。与信が縮小すれば、需給ショックに由来する景気後退を増幅しかねない。
そして、このようなショックが各国で同時に起これば、国際貿易や金融リンケージを通じてその影響が増幅され、世界の経済活動を鈍化させ、一次産品価格を押し下げる可能性がある。この数週間で原油価格は大幅に下落しており、年初の水準を約30%下回っている。国外からの資金調達に依存する国では、資本流入の突然の停止や無秩序な市場環境のリスクにさらされる可能性があり、為替介入や一時的な資本規制を必要とするかもしれない。
的を絞った経済政策が必要
一部産業における特に深刻なショックを背景として経済への影響が生じることを考慮しつつ、政策担当者は、影響を受けた世帯や企業を支援すべく、的を絞った形で相当規模の財政措置や金融政策、金融市場対策を講じることが必要となる。
供給網寸断や需要低下による打撃を受けた世帯や企業が重点的に現金給付や賃金助成金、税負担軽減措置を受けられるようにすることで、人々が自らのニーズを満たし、企業が持ちこたえるのを支援できるだろう。そうした措置の一例として、イタリアでは影響を受けた地域の企業に対して納税期限を延長するとともに、解雇された労働者への所得支援を提供する給与補填基金の拡充を行った。韓国では、小規模商店主向けの賃金助成金を導入し、在宅者や失業者を対象とする手当を増額した。また中国では、企業に対して社会保険料を一時的に減免している。解雇された人に対しては、失業保険を一時的に強化することが可能だろう。給付期間延長や給付額増額、受給要件緩和などが考えられる。有給の病気休暇や家族休暇が標準的な福利厚生の一部となっていないところでは、政府はその財源を確保し、体調不良の労働者やその看病を行う人が感染症流行中に失職を恐れることなく家にいられるようにすべきである。
中央銀行は、銀行とノンバンク金融会社に対して十分な流動性を供給する準備ができていなければならない。特に、急激な混乱に耐える用意があまりできていない可能性がある中小企業に融資を行っている金融機関への流動性供給が必要となる。各国政府は、こうした中小企業の短期的な流動性ニーズのために一時的かつ的を絞った信用保証を供与することができるだろう。例えば韓国では、影響を受けている中小企業向けに、事業融資や融資保証を拡大している。金融市場の規制当局・監督当局も、一時的かつ期限を決めて、融資期限の延長を奨励できるだろう。
金融環境の著しいタイト化という市場リスクがある場合には、政策金利引き下げや資産買い入れといったより広範な金融刺激策によって、信頼感を改善し、金融市場を支えることが可能である。主要中央銀行による行動は、脆弱国にプラスの波及効果も生む。利用可能な財政余地に応じた幅広い財政刺激策は、総需要を押し上げる上で有益だが、その有効性は企業活動が正常化し始める局面でより高くなることが多いと考えられる。
感染症流行の影響が国際的に広範囲に及ぶこと、経済が国境を越えて広くつながっていること、そして経済活動や金融市場、一次産品市場に信頼感の影響が大きく及んでいることに鑑みれば、協調的かつ国際的な対応が必要となる理由は明らかである。国際社会は医療能力が限られている国々を支援し、人道的災害を回避しなければならない。IMFには、様々な融資制度によって脆弱国を支援する体制が整っており、例えば低所得国・新興市場国向けに、速やかな支払いが可能な緊急融資(最大500億ドル)を用意している。
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ギータ・ゴピナートはIMF経済顧問兼調査局長。ハーバード大学経済学部ジョン・ズワンストラ記念国際学・経済学教授であり、現在は公職就任のため一時休職中。
国際金融とマクロ経済学を中心に研究を行い、経済学の代表的学術誌の多くに論文を発表している。為替相場、貿易と投資、国際金融危機、金融政策、債務、新興市場危機に関する研究論文を多数執筆。
最新の『Handbook of International Economics』の共同編集者であり、『American Economic Review』の共同編集者や『Review of Economic Studies』の編集長を務めた経験もある。以前には、全米経済研究所(NBER)にて国際金融・マクロ経済学プログラムの共同ディレクター、ボストン連邦準備銀行の客員研究員、ニューヨーク連邦準備銀行の経済諮問委員会メンバーなどを歴任した。2016年から2018年にかけてインド・ケララ州首相経済顧問。G20関連問題に関するインド財務省賢人諮問グループのメンバーも務めた。
アメリカ芸術科学アカデミーと経済学会のフェローにも選出。ワシントン大学より各分野で顕著な業績を上げた卒業生に贈られるDistinguished Alumnus Awardを受賞。2019年にフォーリン・ポリシー誌が選ぶ「世界の頭脳100」に選出された。また、2014年にはIMFにより45歳未満の優れたエコノミスト25名の1人に、2011年には世界経済フォーラムによりヤング・グローバル・リーダー(YGL)に選ばれた。インド政府が在外インド人に授与する最高の栄誉であるプラヴァシ・バラティヤ・サンマン賞を受賞。シカゴ大学ブース・スクール・オブ・ビジネスで経済学の助教授を経て、2005年よりハーバード大学にて勤務。
インド出身で、現在はアメリカ市民と海外インド市民である。デリー大学で経済学士号を、デリー・スクール・オブ・エコノミクスとワシントン大学の両校で修士号を取得後、2001年にプリンストン大学で経済学博士号を取得。