地政学的な緊張を背景に、世界貿易による共通の経済的利益よりも国家安全保障上の懸念と戦略的競争に重きが置かれる可能性が高まった。
各国が相互に依存していることを踏まえると、そのような可能性が実現した場合、非常にコストがかかることとなる。アジアにおいては特に言えることだ。例えば、米国は輸入の約半分、そして欧州は輸入の約3分の1がアジアからである。そして、アジア諸国は、主要な一次産品に対する世界の需要のほぼ半分を占めている。
最新のアジア太平洋地域経済見通しでは、 分断化の憂慮すべき初期兆候を指摘し、世界貿易のつながりがなくなることの潜在的な結果を示す。
このような分断化圧力の兆候のひとつが、貿易政策の不確実性を表す指標である。この指標は、2018年に米国と中国間の緊張が漂う中で急上昇。この度ロシアのウクライナ侵攻が起き、対ロシア制裁を起因に将来の貿易関係に不確実性が出る中で、再び上昇した。
実際に貿易制限が導入されなくても、貿易に関する政策の不確実性が経済活動を悪化させる可能性がある。企業が雇用や投資を一時停止したり、新規企業が市場参入を延期したりするためだ。
IMFの分析によると、2018年に見られた米中関係の緊張の高まりなど、貿易政策の見通しに対する典型的な打撃により、2年後の投資が約3.5%減る。また、国内総生産(GDP)が0.4%減り、失業率が1%ポイント上昇する。しかし、脆弱性は均等ではない。
投資への影響は、新興市場国やより開かれた経済、そして多額の債務を抱える企業にとってさらに大きい。アジアの企業債務は、世界金融危機以降大幅に増加しており、パンデミックを受けてさらに急増している。貿易政策の不確実性の高まりが同地域にとって特に損害を与える可能性があることを示唆する。
見通しに対するショックだけでも打撃は大きいが、分断化が実際に起きた場合、損失はさらに大きくなる。世界中で生産性の伸びが鈍化していることと、アジアにおける貿易の重要性を踏まえ、貿易の分断化による生産性の低下を原因とする総生産の損失を推計した。これらの推計は、投資の落ち込みによる資本ストックの減少の影響や知識の流れの潜在的な混乱などのチャネルを考慮していないため、損失の下限を表しているに過ぎない。
われわれの分断化シナリオは、エネルギーやテクノロジーなど最近制限が増えている部門において貿易ブロック間で取り引きが遮断され、また、他の部門の非関税障壁が冷戦時代のレベルに引き上げられるというものだ。シナリオをモデル化するため、そして純粋に解説する目的で、われわれはロシアにウクライナ侵略を止めるよう要求した2022年3月の国連総会投票に沿ってブロックを分割した。
賛成票を投じた国から孤立した国がロシアだけであれば、世界経済の総生産の損失は小さい。しかし、世界がふたつのブロックに分かれ、賛成派と反対派または棄権国の間で貿易が制限されるなど、より有害なシナリオの下では、損失は大幅に増える。恒久的な世界の年間損失はGDPの1.5%と推定される。アジア太平洋地域の国々ではGDPの3%を超え、損失が他の地域より大きい。この地域で貿易が果たす重要な役割を反映しているのだ。他のブロックとの貿易が重要な国は、輸出市場の喪失と複雑な生産ネットワークの分裂により、損失が特に大きい。
貿易のネットワークが崩壊し、各地域の専門性がなくなるにつれて、労働市場に深刻な影響が及ぶだろう。この例示的なシナリオでは、貿易規制の強化により縮小を余儀なくされた部門では、アジア諸国の平均雇用損失が7%にものぼると推定されている。
こうした推計値は貿易に焦点を当てており、金融関係がほつれた場合の影響を考慮していない。この章で記すように、金融関係のほつれも無視できない意味合いがあるだろう。金融の分断化は、ポジションの急速な解消による短期的なコストと、外国直接投資の減少による多様性の低下と生産性の伸びの鈍化という長期的なコストにつながる可能性がある。
われわれの研究は、目下のリスクが高いことを示す。アジア内外の政策当局者は、より大きな分断化による悪影響を回避し、貿易が確実に成長の原動力であり続けるために行動しなければならない。
有害な貿易規制を解消し、政策目標の明確な伝達を通じて不確実性を軽減することが優先事項である。多国間レベルの改革で地域協定を補完しつつ、完全に機能する世界貿易機関(WTO)の紛争解決システムを回復することが、差別的政策による他の貿易相手国への潜在的な悪影響を緩和するだけでなく、緊張の根底にある原因の一部を解決することに役立つ。
しかし、とりわけ、最も有害な分断化シナリオを回避するためには、国家間の関与と対話が不可欠である。