IMF に つ い て アジア太平洋地域事務所 |
グローバリゼーションはどこへ行く 国際通貨基金 アジア太平洋地域事務所 所長 日野 博之 1 2002年10月22日(火曜日) ご紹介を受けました日野と申します。本日、このように同窓の皆様と歓談する機会を作っていただき、誠にありがとうございます。1968年に、上智大学を卒業し、その後、殆ど外国で暮らしておりました。何せ、浦島太郎、いえ、グアム島のジャングルに何十年も隠れていた横井庄一さんみたいなもので、日本語の表現に難があるのは、ご勘弁いただきたいと思います。 さて、今回の表題は「グローバリゼーションはどこへ行く」という、壮大なものです。アメリカですと、過大広告だと訴えられるのではないかと思われますが、ここは、護送船団方式の日本ですので、少々内容不足でもご容赦して頂けるのではないかと思っております。 (1)グローバリゼーションの意味 まず、グローバリゼーションとは何か、考えてみましょう。人によって意味が違うようですし、漠然とした概念でグローバリゼーションを思っている人が多いように思います。しかし、グローバリゼーションを本質で、しっかり明確に把握することが、その問題点またその方向を理解する上で不可欠ではないかと思います。 この数十年、ヒト、モノ、カネ、サービス、情報が国境を越えて自由に移動(交流)し、人々が接触し競争する機会が増え、国と国との関係が一段と深まりました。距離もまた近くなったといえるでしょう。確かに、図表1に見られるように、直接投資も貿易対GDP比率で上昇しました。しかし、私は接触が増えたり、貿易が盛んになることがグローバリゼーションの現象ではあれ、本質ではないと考えます。 |
野球の世界を例に、ちょっと考えてみてください。私は学生時代、巨人のファンでした。まだ長嶋や王も現役だった頃の話です。当時、巨人軍は「純血主義」を標榜し、外国人選手をチームに入れていませんでした。しかし、他チームがより大型外人選手を入れるようになって、巨人もそれでは勝てないので、戦力強化のため大リーガーを入れるようになり、日本とアメリカの交流はさらに進みました。現在では野茂をはじめ、イチローなど多くの日本人選手が大リーガーとして活躍し、選手(あるいは監督)の交流は盛んになっています。 しかし、日本の野球の「外国人枠」というのは、まだありますよね?このような制限がある限り、また日本とアメリカの間の飛行時間が10時間以上かかる限り、日本とアメリカの野球マーケットは別々に存続しますし、日本のプロ野球がアメリカのマイナーリーグの一部になってしまうようなこともありません。この状態が続く限り、“日本的野球”は続きます。また、日本の野球選手が外国人選手に取って代わられて、大量に失業することもなく、日本の野球は安泰です。 この外国人枠という規制をすべて取払ったらどうでしょうか?その上に、超音速ジェット機の開発のような技術革新が起こり、日本とアメリカの間が2時間で行き来できるようになったらどうでしょうか。こうなれば、野球のルールは基本的には一つですから、つまり、グローバルスタンダードですから、日米のマーケットは一つに統合されるでしょう。 私は、今の野球のような状態は単なる国際化であり、グローバリゼーションとは違うものだと思っています。つまり、国際化とは各国がnational marketを維持し、トレードを行っていく。規制や物理的な障害が取り払われた状態、つまり、各国のマーケットが統合され、global marketが誕生する、私はこれをグローバリゼーションであると考えています。国際化とグローバリゼーションの違いを図表2にイラストされています。1980年から情報改革が進み、レーガン、サッチャーの強烈な市場信奉主義が登場し、規制が緩和され、貿易と資本の移動が自由化されグローバリゼーションが進んだのです。 グローバリゼーションの結果、何か起きるでしょうか?野球の例に戻りましょう。グローバリゼーションの結果、究極的には、日米のマーケット、あるいは韓国や台湾の野球も含めて一つになります。こうなれば、野球のレベルは一段と上がり、それこそが求めていた野球だと考える人もいるでしょう。そして、野球のファンもどっと増えるかもしれません。経済の言葉に直せば、生産性が上がり、需要も増え、生産量も増大するでしょう。 一方で、日本人選手の大部分が失業してしまうかもしれません。また、熱烈なファンの中には、いわゆる「日本的野球」が見られなくなる、クラッシュ・オブ・カルチャーだと叫ぶ人も出てくるでしょう。グローバルスタンダードが嫌だ、だからグローバル化してはいけないと。これが今盛んに議論されているグローバリゼーションの問題点ではないでしょうか。 ここで、一点言っておきたいことは、もし日本の野球ファンの大多数が本当に日本人プレイヤーによる「日本的野球」を望んでいるのなら野球のマーケットがグローバル化されても「日本リーグ」は続くでしょう。即ち、市場化、自由化は人々の選択の幅を拡げるだけで、ある特定の選択を強制しているわけではないということです。自由化は人の望んでいることの実現を可能にするだけです。これによって出てきたことが悪いのであれば、それは人が望んだ事が悪いのです。出てきた現象のみを見て、グローバリゼーションそのものを評価すべきではありません。 (2)グローバリゼーションがもたらす経済効果 グローバリゼーションの功罪について、もう少し詳しく検証してみましょう。まず、グローバリゼーション、つまり市場主義が経済成長を促進したことは歴史的にみてほぼ間違いないと思います。 世界の実質一人当たりのGDPは20世紀において、約5倍も増加しましたが、この間、市場主義と国家主導主義が押したり、押し返したりの繰り返しでした。過去130年の世界貿易/GDP比及び海外資産/GDP比の流れが図表3に示されています。市場主義が強い時にはこれらの比率は高く、国家主導主義が強い時は低くなります。 この図から歴史のうねりのようなものが見られると思います。 19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパを中心とした世界経済は、金本位制で資本移動の規制もなく、まさにグローバリゼーションの時代でした。アダム・スミスのいう「見えざる手が働いているかのように」経済を動かして、経済効率をもたらすという時代でした。先例のない経済成長を遂げました。 しかし、1914年から、デフレの深刻化が始まり、大恐慌が発生し、それから保護主義が台頭し、ナショナリズムが強くなって、国家の利益のせめぎ合いのようなことが生じました。また、社会主義国家が登場し、国家の力が市場の力を押さえこんだ時代でした。この間、貿易量は激減し、経済成長も停滞してしまいました。 1950年からの約25年間で、貿易障壁の撤廃や資本規制の緩和が徐々に進み、さらに運送、通信コストが低下し続けたことを背景に、より一層、国際化が拡大しました。技術基準が進み、非常に高い成長が達成されました。 そして、1980年になってグローバリゼーションが具体的なイメージとして登場しました。サッチャー英首相、レーガン米大統領が規制を撤廃し、自由化政策を強く押し進めました。この両首脳は、小さな政府、つまり国の権限を小さくすることを目指し、「マーケットにまかせる」という方向でグローバル化の道を大きく開いたのです。1990年には、東西冷戦が終結し、ソヴィエト連邦の崩壊、旧ソ連諸国や東欧諸国等、多くの国が市場主義に雪崩をうって移行しました。貿易、金融市場の自由化、国営企業の民営化などによって、経済を活性化させ、新たな市場の創出や技術革新をよび、再び高い成長がもたらされました。 ここで、数字で具体的に見てみましょう、図表4を見て下さい。 ○ 20世紀始めから第1次世界大戦前まで(1900~1913年)、金本位制の全盛期ですが、この時期においては、世界の実質一人当たりGDPが、年平均1.5%以上のペースで上昇しました。1913~1950年の間は、第1次大戦と第2次大戦による生産に対する打撃、また両大戦の間の不況期を背景として、平均実質一人当たりGDP伸び率は1%弱にとどまりました。これに対して、国際化が進んだ1950~73年には(工業国黄金期)2.9%、1973~2000年(ポストブレトンウッズ期)には約1.5%弱に達しています。 ○次にクロスセクションで見てみますと、90年代には、グローバル化が進んでいる開発途上国では、一人当たりGDP伸び率が5%、先進国の同2.2%を上回りました。これに対して、グローバル化が進んでいない国の一人当たりGDPはほとんど伸びておりません。もっとも、グローバル化している途上国の高成長はインド、中国に依るところが多いのですが。 (3)拡大する所得格差 グローバリゼーションは成長を促進させるとはいえ、すべての国がグローバリゼーションから同じように利益を得ることは幻想に過ぎないでしょう。市場は勝ち組と負け組を選別していきます。グローバリゼーションの結果として所得格差が広がるか否かは議論の分かれるところですが、国と国の間、また国の中においても、所得格差が広がっていっていることは確かなようです。 ○世界中の人々を所得で4つに分けたとしますと、所得が最も高い4分の1は、2000年までの100年において一人当たりGDPが6倍となったのに対して、所得が最も低い4分の1の増加は3倍弱にとどまっています(図表5)。 ○先進国でも、所得格差の広がりが見られます。技術熟練者と非熟練者との間の所得格差の拡大が顕著で、技術革新の影響が大きいと考えられます(図表6)。 ○途上国の中では、裕福層と貧困層を問わず、所得は上昇したものの、格差も増大しています。インドや中国でも格差は大きくなっていますし、旧ソ連の国々においての、貧富の差の現れは、市場メカニズムが働いているものと思われます。 もちろん、所得格差拡大の原因は必ずしもグローバリゼーションにあるとは限りません。国と国の間での所得格差の拡大は、経済政策、自然災害、戦乱、技術進歩など、さまざまな要因によって、あるいはそれが重なって起こります。世界の貧困問題の焦点は言うまでもなくアフリカにありますが、私自身、この十数年、ナイジェリア等アフリカの数ヶ国の経済運営に直接かかわり、実際苦しんできました。アフリカでは経済政策の失敗、国が国としての機能を十分果たしていないことの方がグローバリゼーションより大きな要因だと思います。 原因は何であれ、膨大な格差が存在し、これを縮小するのが不可能なほど貧富の格差は進んでしまっているといえます。現在、低所得国の一人当たり所得の平均が約400ドル(4万8千円)で、先進国では約20,000ドル(240万円)となっています。低所得国の一人当たり所得がこれから年間7%伸びても、10年後には倍増して約790ドル(9万4800円)になりますが、所得は約400ドルしか増えないことになります。しかし、先進国では、一人当たり所得が年間わずか1%増加するだけで、10年後には2,000ドル以上も増えるのです。400ドルと2,000ドル、低所得国と先進国との間のギャップを縮小するのがいかに困難なことであるかを示していると思います。 貧富格差の拡大は世界全体の安定のためには、決して望ましいものではありません。テロや紛争の大きな原因の一つに、アメリカは極度の貧困の継続を挙げています。貧富の格差を縮小するためには市場に全てまかせるのではなく、やはり公共政策や国際協力などの介入が不可欠ではないでしょうか。 (4)市場の行き過ぎ 次に、グローバリゼーションの負の一面として市場の行き過ぎが考えられます。 1980年代のメキシコ、1990年代のアジア諸国、ロシア、そして2000年代のトルコ、アルゼンチン、それに、最近ではブラジルと、途上国では経済危機が繰り返されています。資本移動の自由化や世界資本市場の一体化によって巨額な資金が流出入するようになりました。時には、投資家は群象心理で動いているのではないかと思われます。市場は常に合理的ではなく、不完全(imperfect)の面もあるわけです。グローバリゼーションはこの不完全な市場に任せすぎるため、途上国の不安定化を引き起こしていると指摘する人もいます。 “不可解な高揚”(irrational exuberance)。これは、ニューヨーク株式市場があまりにも上昇しつづけることを見て、グリーンスパンが発した有名な言葉ですが、世界の多くのところでこの言葉のようなバブル現象が起きています。最近、ENRONやWORLDCOMの会計操作していたのが発覚し、株価が大きく下落した例もあります。これも市場の行き過ぎの一面ではないでしょうか。 国内では市場の不完全性に対処するため、色々な工夫がこらされています。例えば、企業のバランスシート等の情報整備、公開が法律で義務づけられており、公的な機関に監視されています。サーキットブレーカーを導入して株価の巨大な変動を制御しようとしています。また、企業が破産に至った場合には、借り手、貸し手ともその責任をおうよう、破産処理手続きが整備されています。貸し手にもきちっと責任を負わせることにより、無責任な行動に歯止めをかける効果があります。 国際金融の世界では、このような市場の不完全な部分に対応する制度が十分できる前に(また、途上国で金融機関が十分成熟する前に)、自由化が進み、市場経済の行き過ぎがグローバル化の負の側面として出てきたといえるでしょう。 (5)グローバリゼーションの行方 前にも申し上げましたが、19世紀末は市場の力が強く、国家の権限が限られておりました。市場の行き過ぎがあり、20世紀前半にはそれは逆転され、20世紀後半には、再び逆転されました。私は、グローバリゼーションをこの歴史のうねりの一部としてとらえております。 現在は、市場の行き過ぎに対応し、市場の力を少し押しかえす局面に入っているのではないでしょうか。例えば、最近アメリカで会計監査会社の監督が強化され、CEOが自分の会社の会計報告に虚偽のないことを自分個人の責任で宣誓しなければならなくなりました。市場経済の急先鋒であった、ニュージーランドでも一部の民営化の見直しを始めたと聞いております。グローバル市場をきちんと働かせるためには、regulatory framework等、適切な公的制度が必須であると、広く認識されてきました。 IMFでは、現在、国際金融システム(International Financial System) に関して、この制度作りに取り組んでおります。おおげさにInternational Financial Architectureと名づけています。具体的に言いますと、この作業には、大きく言って3つの要素があります。 1つは、それぞれの国家の経済実態を明らかにする情報の整備と公開です。たとえば政府予算、外貨準備額などを各国が同じ基準で迅速に公開できるようdata dissemination standard を作成しました。 2つめは、透明性とaccountabilityです。経済政策の運営に関するルールづくりを行っていきます。たとえば金融政策では中央銀行の独立性、政策決定の討議内容の公開などを求めていきます。 3つめは、経済危機対応策の整備です。アルゼンチンのように経済危機に見舞われ、破綻的危機に陥った国にどう対応するか。そのためのシステムづくりで、国家債務再編メカニズム(SDRM)を提案しています。これはおおざっぱに言えば、国内の会社更正法に該当するようなものを、国家の債務を対象に作ろうというものです。 IMFが行っていることは、以上のように国際的なカネの動きに関するものです。もうひとつ、モノの動きにも同じような制度作りが必要ですが、これはWTOの仕事でしょう。 (6)終わりに ここ数年、反グローバリゼーション運動が盛り上がりましたが、グローバリゼーションの方向は変らないと、私は考えています。1930年代のように保護主義が台頭し、国境を越えるモノとカネの動きが激減するような事態にはならないと思います。また、世界大恐慌を引き起こした歴史を繰り返すこともないと考えています。 市場の行き過ぎを抑えるようなルール作りが更に進み、もう少しバランスのとれたグローバル経済に向かうのではないでしょうか。 もし、この判断が正しいとすれば、日本はどのように対処すべきでしょうか。日本経済は、皆さんが思っているほど、国際化していません。例えば、図表7に示されているように、日本の貿易量は付加価値比で他国に比べ非常に小さいですし、またこの10年ほどで減ってきております。(この現象はもっときっちりと分析しなければならないのですが。)企業の海外生産率は平均で15%、アメリカの半分程度ですし、日本の対外直接投資、また外国からの直接投資も多くはありません(図表8)。 1990年代、日本の産業全体の生産性は低下しました。産業別にみても、電気、機械を主とした製造業を除けば、殆ど、のきなみ生産性は低下しています(図表9)。日本がグローバリゼーションについて行けなくなっているように見えます。 日本では、グローバリゼーションは産業の空洞化を招くという議論をよく聞きますが、私はそう思いません。むしろ何よりもグローバリゼーションを進めるべきだと思います。今後の日本は高齢化が進み、少子化社会、労働力が減少する時代となります。それはすでに始まっています。労働不足を解消するために、外国から労働力を導入して、国内での生産を増やすのも一つの方法です。しかし、これは異民族との共存等難しい問題をはらんでいます。私は、外国から労働力を導入するよりも、日本の資本が外国に出ていくべきだと思います。つまり、海外に投資し、海外への生産移転をさらに拡大させていくのです。海外で儲けて日本へ送金するような考え方が必要です。 これまでのように、日本経済を国内の経済活動量と、生産を示す国内総生産(GDP)で見るだけではなく、日本企業の海外利益の送金などを含む、国民総生産(GNP)で見ることも重要になると考えられます。 そのためには、グローバル市場で十分に活躍できる、経営能力を持つ日本の企業家が育たなければならないと思います。そして、これまで行ってきた護送船団方式に代表されるような、競争にさらされない仕組みから一日も早く脱却しなければならないと思います。 以上、私の感想を評論家風に述べさせて頂きました。皆様のご意見を是非伺いたいと思います。 以上。 1 ここで述べた意見は筆者個人の見解であり、IMFとしての見解ではないことをご了承ください。 |