アジア通貨危機への対処―その真相 

外交フォーラム1998年11月号

国際通貨基金 アジア太平洋地域事務所 所長

斉藤 国雄

 アジア経済は、昨年夏のタイに始まった通貨危機に加え、最近では世紀末アジア大不況とも呼べるような状況に陥っている。このような状況の下で、IMF(国際通貨基金)は、タイ、インドネシア、韓国等の危機対応策の作成、実施の中心的役割を担ってきた。

 アジアでのIMFの対応ぶりは我が国でも広く報道されたが、通貨当局者や金融関係者、エコノミストなど一部の人を除けば、IMFは相変わらず謎に包まれた存在かもしれない。 そこで、ここではまず、IMFとは何か、という基本的な質問にお答えすることにしたい。

IMFとは

 IMF(国際通貨基金)は、1944年、アメリカのブレトンウッズで採択されたIMF協定に基づき、2年後の1946年に国際通貨体制を支える国連専門機関の1つとして設立された。現在、加盟国は182カ国。その機能を大まかにまとめると、1)IMFの支援する国際収支調整及び経済構造プログラムに基づく融資などの金融支援(financing)、2)国際収支危機を未然に防ぐための加盟国の財政金融政策等を対象にした政策監視(surveillance)、3)経済統計作成や財政金融制度の整備などに関連した技術援助(technical assistance) の3つとなる。なお、IMFの融資等の資金は、加盟国の出資金で賄われており、この出資金は、各加盟国の議決権を決定する基準にもなっている。ちなみに日本は現在、米国に次いで世界第2位の出資国である。

IMFプログラムに合意して始まる国際協調

さて、今回のアジアの国々、さらにはロシアといった加盟国がIMFの融資を利用する際には、経済成長率、インフレ率、外貨準備等の目標値に基づいた、財政金融政策あるいは構造改革等に関する条件(コンディショナリティー)がつけられる。(これが様々な批判の的になっている)。それにもかかわらず危機に直面した各国は、なぜIMFの支援を求めるのであろうか。それは、一言で言えば、IMFのプログラムが、危機の基本的解決につながり、また、それがないと、他の手段での資金調達も極めて困難になるという現実があるからである。国際収支上の困難に陥った国は、まず、IMFとのプログラムに合意しないと、他のバイ(先進国を中心とする2国間支援国)やマルチ(世界銀行・アジア開発銀行等の国際機関)のドナー、民間金融機関は融資をしないのが普通である。IMFとのプログラムが合意に達すれば、その国の政策にIMFのお墨付きが得られた、ということで、バイ・マルチのドナーが融資の検討を始め、またパリクラブでの債務のリスケ(リスケジューリング:債務返済の繰延べ)も可能になる。また、民間金融機関からの新たな融資が得られる可能性も出てくるのである。これらは通常、IMFのプログラムに合意して初めて動き出す。このようなIMFの機能は、IMFの触媒的役割(catalytic role)と言われている。

ところで、このようなIMFプログラムの合意成立までには、どのような経過をたどるのであろうか。

IMFの支援を必要とする国は、まずその加盟国を担当しているIMF事務局の地域局(アジア諸国ならアジア・太平洋局)にコンタクトし、ミッション(調査団)を派遣してもらうことになる。派遣されたミッションは、その国の現地当局(大蔵省・中央銀行等)と接触し、経済状況、財政・国際収支の状況、当局の改革意欲の強さ等を調査しつつ、最も適当と考えられるプログラムをデザインし、その内容について当局と交渉を行う。数次の交渉を経てプログラムが合意に至ると、プログラムはIMF事務局によって、全加盟国の代表理事からなるIMF理事会(IMFの常設意思決定機関)に諮られる。理事会で合意が得られれば、いよいよIMFプログラムは実施に移されることになるのである。

アジア危機の特徴

 今回のアジア危機にはいろいろな側面があり、その原因は複雑に絡み合っている。しかし、簡単に整理すると、その特徴として次のような点が挙げられる。

まず、現象面からの特徴として、今回の危機が、これらの国々からの民間資本の大量かつ急速な流出に伴うものであったということである。これらの民間資本の市場が、グローバライゼーションの大波の中で巨大化し、大変な影響力を持つようになっていたのである。今回の危機の発端であるタイの危機が他のアジア諸国に次々と伝染(contagion)を起こしたのも、強大化した市場の影響力を抜きにしては、説明できない。

もう一つの特徴は、今回の危機が、各国の長期的な構造改革の必要性との絡みで発生したことである。すなわち、金融部門の弱体化、その原因となった民間投資の行き過ぎ、またこれを押さえるための景気過熱対策の発動の遅れ等、一連の中期的問題のみならず、弱体化した金融機関の整理強化、コーポレート・ガバナンス(企業統治)の改善等の長期的問題が一気に表面化したのである。

生まれ変わるアジア経済

 IMFを中心とした今回のタイ、インドネシア、韓国の危機への対応は、以上のような特徴に焦点を当てたものとなった。すなわち、大量の資本流出に応じるため、三国合計で350億ドルのIMF融資が行われ、これに他のバイ・マルチのドナーの支援を加えると、未曾有とも言える大型の金融支援パッケージが組まれた。同時に、IMFは、これらの国の構造改革を含む政策調整パッケージ(いわゆるIMFプログラム)の作成、実施を支援している。このIMFプログラムの実施、すなわち、ある程度の痛みを伴う自己努力が、金融支援の前提となっている。また、両者を組み合わせることでこそ、信頼の回復と市場安定、それに続く経済再建およびその強化が、迅速かつ着実に進むものと期待されているのである。

今回のアジア三カ国のIMFプログラムは、構造改革を大幅に取り入れているという面で、非常に厳しく、またそれ故に批判を受けている。しかし、弱体化した金融機関への対処等、構造改革の遅れが危機の一因であり、市場の信頼を回復し、危機を終息させるには、これを避けて通ることはできない。また、同時に留意すべきは、これら三国のいずれにおいても、それぞれの政治プロセスを経て、構造改革に向けての合意が成立していることであろう。反面、財政金融政策については、IMFプログラムは比較的柔軟である。例えば、確かに、プログラム実施当初は、フロート制の下での金利は高めに誘導せざるを得なかったが、市場の安定とともに金利は低下した。財政についても、経済の落ち込みを反映した歳入の低下、あるいは、失業対策費等の歳出の増加を反映するため、プログラムには数次にわたり修正が加えられている。また、IMFプログラムの下での過度の引き締めがより深刻な経済の落ち込みを引き起こしたとの批判もあるが、これは危機のショックによる投資マインドの冷え込み、および企業整理、失業の増大等の構造改革の痛みを反映しているというのが実状である。

 以上のような点を考慮すれば、長年の経験を踏まえ、改良を積み重ねてきたIMF方式以外に、アジア危機を終息させる有効な手だてはない、と言ってよいであろう。アジア危機は、その姿を変えつつ現在も続いており、アジア経済はいろいろな課題に直面している。今回のIMFプログラムが完了すれば、アジア経済は新しく生まれ変わることになる。新しいアジアの底力に期待したい。